キドリハ通信 KIDOREHA BLOG

2016年2月23日、新生活74日目。(事故から327日目) 2016年02月23日 10時00分25秒

vol.33キドリハ通信~欲しがりません立つまでは第2章~

 

皆さんおはようございます。
先週の金曜日、自分専用の車椅子が届きました!!

 

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抜群の操作性と、世界最高レベルの軽量化を実現した 最高クラスの車椅子です。
OXという車椅子メーカーの、LXという最新モデルです。

 

LXというモデルだけあって、車椅子屋さんに「車椅子界のレクサスってところですかね?」
って質問したところ、、、

 

「業界では、『車椅子界の”ポルシェ”』って呼ばれてるからうまく乗りこなしてね」って言われました。

 

 

いやあ、29歳にしてポルシェを手に入れるとは思ってもみませんでした。

 

人生、どんな幸運が舞い込むか分からないものですね。笑

 

さて、今日も海外視察編の続編を配信しますが、
実は今パソコンを修理に出していて、トレーニング映像を紹介することができません。
ですので、1/25のトレーニングではなく、翌日1/26の様子を配信します。

 

 

海外視察編は、今日を含めてあと2回で完結です。

 

<1/26 リハビリ海外視察編”9日目”>
アメリカ4日目。

 

この日のメインイベントは、アメリカ在住の藤井さんファミリーへのお宅訪問です。
藤井さんは娘の希依(キエ)さんが14年前、9歳の時に交通事故によって 頸椎損傷になり、
それから14年、「もう一度歩くことを目指して」アメリカでリハビリ生活を送っていらっしゃいます。

 

視察前、希依さんの お母さんが書いているブログを見つけて 連絡してみたところ、
お会いすることができました。(やはり勇気を持って連絡することは大切だと感じます。)

 

更にお会いするだけでなく、前回配信のトレーナー・エリックを紹介してくれたのも藤井さんでした。

 
藤井さん宅への訪問で話した内容は、今回の視察を通して最も印象に残る思い出になっていますので、
長くなりますが、是非読んでみてください。

 

藤井さんとのお話で特に印象的だったことを次の3点に整理して紹介したいと思います。
① 希依さんのPassion(情熱)
②ご家族の想いの強さ
③アメリカやオーストラリアでリハビリをする、ということとは?

 

 

①まず紹介したいのは、頸椎損傷である希依さん本人のPassion(情熱)です。
希依さんは、昨年大学を卒業し、今はメディカルスクールに通うための準備をしています。
普段は大学にもバスで1人で通い、多少家族の力を借りながらも、基本的には自分のことは自分で行っています。

 

希依さんは事故後のリハビリ生活を送る中で、
「将来のことを考えると、お父さんやお母さんの力を借りずに生きていかないと!」そう思ったそうです。

 

以前にも何度か紹介していますが、頸椎損傷とは、首の脊髄損傷です。

 

損傷部位は何センチしか違いませんが、脊髄損傷と頸椎損傷では大違いなんです…
首から下に麻痺が残るため、腕や手、上半身も自由に動かすことができません。

希依さんも、腕や手にも麻痺が残っています。
その体で「自分で生きていくということ」は簡単なことではありません。

 

また、9歳で事故に遭う前は、陸上でジュニアオリンピックに出場した経験があるくらい、
運動神経抜群で、活発的な女の子でした。

 

 

だからこそ、怪我をした時は「なんで私が?」そう繰り返し自問自答していたようです。
でも、その問いに答えはありません。
僕がもし希依さんの立場だったら、9歳の自分が今のように気持ちの整理できたかを考えると、、、

絶対に切り替えられていないと思います。

 

しかし、その後の希依さんの生き様が凄いんです。

障害のハンデを乗り越え、勉強に励み、中・高を経て『 UCバークレー大学』に進学します。
UCバークレーとは世界大学ランキングTOP5に入る超有名校です。(東大よりも上ですよ!)
正直、大学進学までの努力は僕にも想像ができませんし、
「努力」という言葉で表現するのも安易すぎて申し訳ないくらいです。

 

②ご家族の想いの強さ
当時、希依さんのお母さんは「歩けない、腕や手も自由には使えない。

それならとにかく頭で勝負させよう!」そう思われたそうです。

 

元々、お父さんのお仕事の都合でシンガポールにて家族で生活していた藤井家。
その頃からお母さんは、「いつかアメリカに住みたい!絶対にアメリカに住むんだ!」 という強い希望があり、
ずーっと宣言していたそうです。
その頃のお父さんは半信半疑だったと言いますが、
その後、本当に夢が 叶ってアメリカ勤務になったそうです。

 

事故後、色んな方と話していて、本当に思うことがあります。
自分が「こうしたいっ!こうやって生きたいっ!」そう信じて目標に向かって必死で生きていれば、
本当に夢や目標は叶うんだ!!って、本当にそう思います。

 

藤井さんファミリー も、ご家族の強い意志があって、
「頸椎損傷でも希依の人生を最高のモノにするんだっ!」て、
その想いが、希依さんの前進を後押ししてるんだなあとひしひしと伝わってきました。

 

もちろん、希依さんももう一度歩くことを諦めていません。
その家族の期待に応えるように、希依さんも、今でも毎日リハビリに励んでいます。
そのリハビリの成果がこんな成果を生んだんです。

 

動画は、希依さんの大学卒業式の様子です。

 

 

 

歩行器と、トレーナーのサポートを受けながら卒業証書を自分の足で歩いて受け取っています。

 

今、希依さんは、医者になることを目指して、卒業後もさらに勉強を続けるそうです。
希依さんと記念にパチリ。

 

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③アメリカやオーストラリアでリハビリをする、ということとは?

 

それは、どういうことなのか?

 

一言でいうと、「ポジティブに今を生きる!」そういうことだと思います。

 

言葉にするとすごく単純ですが、そこには日本のリハビリとは大きな違いがあります。

 

日本で「リハビリ」というと、ネガティブな印象を受けます。
病院にいて、以前の状態には戻らなくても、どうにかこうにか社会復帰を目指す…。
そんな感じです。もちろん、そんな考え方も否定はできません。

 

でも、どうせリハビリをするなら、前向きに、楽しくやりたい!僕はそう思います。

 

では、なぜその違いが生まれるのか?
要因は2つあると思います。

 

1つは、「環境のバリアフリー」。

 
バリアフリーが整った街に出る、障害が自然に受け入られている社会で生活をする。
それによって、心のバリアフリーが生まれている。そんな好循環があると思います。

 

日本では、外に出ると段差が多く、駅に行くとエレベーターが無かったり、
周りの目が冷たかったり、、、。
進むたびに車椅子の自分がちっぽけに感じてきて、どんどん外に出るのが億劫になってきます。

 

アメリカは戦争で障害者になる人が多いから、国としてバリアフリーがミッションになっています。

 
オーストラリアは日本よりも広大な国土があるから、スペースを使ってバリアフリーが整えられます。
そんな言い訳はあるかもしれませんが、無視できない問題です。

 

もっともっとみんなで考え、もっともっと発信していかなければいけません。
僕も、続けて発信していきたいと思います。
皆さんも、ぜひ一緒になって発信してください。お願いします。

 

 

2つ目は思想の違い。
「一度きりの人生、車椅子だろうがなんだろうが人生楽しまないでどうする!?」
表現は人それぞれでも、今回の視察で出会う人出会う人、みんながそう言います。

 

今、全力でリハビリをしている!そんな俺って最高!!
それ自体が人生の一歩になっています。
皆さんが、ジムに行って汗を流して1日を充実させる。
そんな感じで楽しく、気持ち良く、笑顔でリハビリをしています。

 

「思想の違い」というと宗教的なモノを連想されるかもしれませんが、僕はそうは思いません。
要は、「考え方」一つです。自分の考え方次第で物事の見方や取り組み方が変わってくるんだ、
今ではそう強く思います。本当に本当にそう思います。

 

そんなことばかり考えている僕は、おかげさまで、
怪我をする前よりも、ずっとずっと前向きに人生を生きられるようになりました。

 

キドリハ登場2回目ですが、今日はこの言葉で締めたいと思います。

 
「運がいい人も、運が悪い人もいない。運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。」
by中谷彰宏

 

 

怪我をしていなければ、今回の海外視察で出会った人たちには一生会えなかったんです。
言ってみれば、怪我のおかげです。

 

ツイてるツイてる、今日もツイてる。

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