キドリハ通信 KIDOREHA BLOG

2015年9月23日、入院115日目。(事故から174日目。) 2015年09月23日 14時48分25秒

《シルバーウィーク編Part.3》

(このブログは以前書いた日記を遅れて配信していますので、タイムラグがあります。)

皆さんおはようございます。
シルバーウィークも最終日ですが、皆さん少し気分が沈んでませんか??
僕もあまり分かってないんですが、シルバーウィークにはお彼岸も一つの行事です。墓参りしなくても、西に沈んでいく太陽を高台から眺めながら、毎日に感謝するコトで先祖を敬う、コレがお彼岸の本質みたいですよ。(て、昨日のモーニングバードでやってました。笑  受け売りです。) 僕も一度やってみようと思っています。
シルバーウィーク編も最終回です。
先日、病院に高校時代の友人が来てくれました。とても興味深い話だったので、今日はその友人の話を紹介したいと思います。少し長くなりますが、空いた時間に読んで、明日からのモチベーションにつなげてもらえると嬉しいです。
その友人は当時野球部で、理系だった(僕はサッカー部、文系)こともあり僕とはほとんど接点は無かったんです。
だけど、予備校が同じで、当時僕は筑波を、彼は早稲田を目指していて、他に関東地方(まあ筑波は北関東ですが笑)の大学志望者が少なかったのでそれが唯一の共通点であり、お互い将来の進路を話す機会があったんです。
で、細かい話は正直あまり覚えてないんですが…笑
その時、彼が「将来はギターを作りたい」って言っていたのが高校生ながらにすごく印象的でした。弾く方ではなく作る方!?そんな風に驚いた記憶があります。
あの頃から10年経って、先日病院で再会してみると…今年から独立してギター職人としての道を歩み始めたとか。結果だけ見ると有言実行で単なる良い話なんですが、その過程を聞くと結構大変な道のりで、余計に心に響く話だったので、是非キドリハ通信でも紹介したいと思いました。
…高校卒業後、めでたく早稲田に進学した彼ですが、元々持っていた病気がひどくなり、休学、復学を繰り返して結局大学を中退。
その後、昔からの夢を叶えるために、アメリカの専門学校に留学したのち、日本で有数のギター職人の元に弟子入り。
しかし、その職人はギター作りの他に、先祖代々、山小屋を経営していて、下っ端弟子に山小屋を切り盛りさせて、登山オフシーズン以外はギター作りどころか、山小屋運営の修行?笑  が続いたと言います。
ちなみに、その山小屋は、眼前には剱岳が見える景色が有名な山小屋だそうです。
山小屋運営の日々は続けて何の意味があるのか?と何度も辞めようか葛藤をしていたようですが、、、
師匠の教えの中で、
「他の人が気づかないコトに気を配るコト、人が考えないようなところまで考え抜いて生活しなさい。それはギター作りも同じ。気づきの乏しい人間に、人の心に響くギターが作れるわけがない。」
という教えがあったそうです。
山小屋運営一つとっても同じ。人が気づかないホコリにまで気をつけて掃除をする。山小屋に来た登山客がどうすれば喜んでくれるか考えてサービスをする…
些細なコトですが、僕はこの教えはすごく奥が深くて、どんな仕事でも通じるコトなんではないかと思います。(単に、師匠が弟子に前向きに山小屋運営させるための策略かもしれませんが。笑)
石の上にも三年…逃げ出したくなったり、疑問に思ったりもしながら、三年間山小屋での生活を中心に、ギター作りの修行を続けました。
そして、山小屋修行の後、ギター作りの他の流派を学ぶためにカナダへ。
友人曰く、クラシックギターには大きく二つのタイプがあり、師匠のこだわるタイプだけではなく、もう一方のタイプも熟知した上で自分のギター道を極めたいという考えがあったようです。
ほぼ、社会との接点を絶っての修行生活を約8年ほど続けてきたそうです。
…そして、今年、独立。
今日紹介したいのは、これらの話を踏まえて、この山小屋に昔から言い伝えられてきたあるコトバです。
この山小屋にたどり着くには二つの登山ルートがあります。一つはバスで山の中腹まで上がり、そこから剱岳を横目にたくさんの高山植物を楽しみながら徒歩で進む「素敵コース(僕が勝手に呼んでる名前)」で、一般客はみんなこちらを通ります。
そして、もう一つは、険しい山道を徒歩だけで5時間ひたすら登る「弟子コース(僕が勝手に呼んでる名前)」。弟子が山小屋に登るにはこの弟子コースしか認められておらず、理由は、金がかかるから、だそうです。笑
なので、弟子は必ずその弟子コースをひたすら上がります。
その弟子コースは、最後の一歩を登りきって初めて、眼前に雄大な剱岳が見えます。逆に言うと、それまでは何も見えません。
 
この弟子コースの道のりを謳ったのが次の詩です。

深林無人語 深林人語無く

石径聴清泉 石径清泉を聴き

獨坐青山上 独り青山の上に坐せば

厳峰在眼前 厳峰は眼前に在り

意味:

人もいない、話し声もしないような険しい山道、

石や岩の道を進んでささやかな小川や泉の音を聴きながら、

一人でも厳しい道のりを乗り越えて登り切ると、剱岳(絶景)が眼の前に現れる。

…自分の修行生活もまさにこのコトバの通りだった。
今の僕のリハビリ生活も同じではないか、登りきった時に見える絶景を信じて欲しいというメッセージを込めて、このコトバが書かれたTシャツを差し入れてくれました。
写真は、1枚目が登り切る寸前の最後の最後の地点です。まだ、剱岳は見えません。
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そして2枚目が厳峰在眼前」の景色です。
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これは、僕の人生だけでなく、誰の人生においても共通する点が多いのでは無いかな。
そう思って激励のおすそ分けをしたいな、と思いました。
苦しい時こそ、あと一歩、進んだ先に絶景があるかもしれない。諦めない、信じることって、この一歩の繰り返しだと思います。
追伸。
その友達は、独立して最近、NYを中心に活躍しているシンガーソングライター、マデリンペルーにギターを愛用してもらったようです。
一つの絶景が見えた瞬間ですね。
さあ、シルバーウィークも最終日、明日からも頑張りましょう!

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