キドリハ通信 KIDOREHA BLOG
2015年9月28日、入院120日目。(事故から179日目。) 2015年09月28日 15時00分11秒
皆さん、おはようございます。
今週も、木戸です。よろしくお願いします。
週末もまた、出かけてきました!
外出をして、最寄駅で待ち合わせをして面会をしてきました。
写真は外出での1シーンです。エレベーターが故障中のため、車椅子用のエスカレーターを下りています。
休みの日はできる限り外に出て、体を慣らそう、それが一番の外出の目的です。気分転換にもなりますしね。
なかなか想像できないと思うんですが、、、
下半身が動かなくなってから、ずーっと、脚は痺れてるんです。多かれ少なかれ、大なり小なり、常に痺れている感じなんです。
外出して、ずーっと車椅子に乗っている時間が長くなると、やっぱり体に疲れが溜まりやすいんですね。
なんとなくですが、脚の感覚がない分、疲労は以前の倍くらい溜まりやすく、逆に疲労がとれるのにも倍くらい時間がかかる、そんな感覚です。
でも、以前より、そんな体にも慣れてきた部分があって、おそらく自身の体にも耐えうるだけの体力、耐性ができてきているんだと思います。
積極的に外に出るコトで、どんどんそれが当たり前になっていく、そしたら次はもっともっと、次から次へのステップアップにつなげたい、そんな好循環を作れる頃には何か脚に変化があるといいなぁと思ってます。
歩行訓練を開始してから、特に右足の痺れが、具体的な痺れというか、痺れの種類が変わっているように思います。信じないとですね。
今回の外出でも、いくつか気づきがありました。まず、出発のバスで、先週同様またも二台の車椅子…しかも、先週と同じ方と遭遇。笑
そんなこともあろうかと、今回は早めにバスに並んでいたので、今度は僕が前に並んでいたました、、、
前で待ってる方が、気まずかったです。苦笑
自分のせいで後ろの人が乗れないって申し訳ないな、そう思い、考えたのが、先日一人の車椅子の人がやっていた通常の座席にトランスするという技。
僕が通常の座席にトランスすれば、車椅子専用スペースが空くので、席を譲れます。
そんなウルトラCな席譲りを難なく達成して、すごく誇らしく、気持ちの良い外出スタートを切りました。
そして、今回は、大学の仲間や会社の方々と外で面会してきました。
やっぱり、病院で一人でご飯を食べるよりも、外の空気を吸って、みんなで一緒に食べる食事や、話す時間は本当に美味しくて楽しい。
しかも、最近はあえて駅から500㍍くらいの距離にあるお店を選ぶようにしています。
バス、電車だけでなく、車椅子での街中での移動を増やすことで、生活のバリアを実感できますし、危険も体感できるからです。
一方で、周りの人に助けてもらう場面も多くなります。土曜日は奥さんや仲間が一緒にいたので、あまり周りの人に助けてもらうコトは多くなかったですが、、、
日曜日は、自分一人でランチに行ったり、街をブラブラ散歩してみました。
お店のドアを開けて待ってくれる若者や、
ラーメン屋の入り口にあったスロープを上がる時に後ろから押してくれるおじさん、
優先スペースの座席に座っていた方が、後から来た僕がバスに乗るコトで席に座れなくなったんですが、「すみません、ありがとうございます。」とお礼を言うと、少し恥ずかしそうに、でも会釈しながらササッと席を譲ってくれるおじさん…
以前の投稿では、過度な気遣いを感じると書きましたが、車椅子で一人でいると、本当にいろんな方が助けてくれる、スマートではないけど、みんなが不器用な感じでも助けようとしてくれる、日本は素敵な国だなぁと改めて思ったりしてました。
話は変わりますが…
昨日の晩、NHKのサンデースポーツでサッカーの岡田監督(現在はサッカーチームFC今治のオーナー)のインタビュー特集をやっていました。
質問内容が、98年W杯の大会直前にキング・カズをメンバーから外した時の心境について聞かれ…「辛かったに決まってるでしょう。苦笑 でも、私心なく『本当にコレがチームにとって最良であるはずなんだ』と信じて決断すれば、外した選手もいつか分かってくれるはず。そう信じてないとやってられなかったですよ。苦笑」と答えていました。
その後、時間が経ってからカズとは家族ぐるみで付き合うようになって、その時になってやっと、その時の自分の気持ちを理解してくれたと思った、そう振り返っていました。
コレって特に日本人的なのかなぁと思ったりするんですが、不器用でその時伝えられなかったけど、時間が経ってから、相手に感謝するコトってあるのかなと思います。
一つの例に、こんなエピソードを思い出しました。
僕が高校時代、父親が、当時他校の生徒指導部の主任をしていました。サッカー部の顧問もしていたので、試合で父親の高校に行くと、生徒に対して怒鳴り散らしている父親をよく見ました。
他校の僕から見ても、生徒から避けられているように見える親父を見て、「学校ではさぞ嫌われてるんだろうなぁ…」と思っていました。汗
その後、高校を卒業して、大学受験の浪人時代に、社会人チームに所属したんですが、そのチームに、父親が在籍する高校の卒業生、つまり「親父の教え子」が4人くらいいたんです。
当時の僕は18歳ながらにそれが結構気まずくて…「うちの親父、結構ウザかってでしょう?」と聞いたんですが、、、
「あんな熱い人はいなくて、今思えば結構好きなだったなぁ…でもPK戦になった試合で叫びすぎて鼻血出してるのはさすがにビビった。笑」
意外な答えで、父親の話で盛り上がっていました。将来は自分も、親父みたいに、「その時は嫌われても、後で感謝されるような先生になりたい。」そんなコトを考えるようになりました…5年後には、サラリーマンになっているとは知らずに。笑
さあ、明日はいよいよ家屋調査で自宅に帰る日です。体調を整えて、万全な体制で臨みたいと思います。皆さんも体調崩さないように気をつけてください。
コメントを編集する
必要なところを編集してください。編集が終わりましたら、1番下にある「投稿する」ボタンを押すと変更内容が反映されます。
ルール
※必ずお読みください 運営者へ問い合わせ